アウトプットブログ

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マンガみたいにすらすら読める哲学入門

 

大まかな哲学史・思想の流れと登場人物について

古代ギリシャ哲学

奴隷制が生まれたことにより時間にゆとりができ、ここから万物の根元探しが始まり、哲学がスタートする。

前624年頃から前370年頃
  • ヘラクレイトス:万物は炎の形に見られるような「揺らぎ」「変化」の象徴として、教科書では万物の根元は火であると習うが、「人により世界が違って見えること」が世界の真実と捉えた。

 

市民への参政権直接民主制)により万物の根元探しは見向きもされなくなる。

直接民主制のもとアテネでは弁論術が流行し、市民に弁論術を教えるソフィストが台頭する。

ソフィストがもたらした考え方は「人間が作るルール(ノモス)に絶対的なものはない」であり、この”絶対”を否定する考え方を相対主義という。

相対主義を象徴するのはソフィストプロタゴラスの言葉「人間は万物の尺度である」であり、100人いれば100通りの物差しがあるということ。

相対主義は利己主義と形を変えアテネ市民に蔓延していくことになる。

 

前470年頃から前270年頃 
  • ソクラテス相対主義の蔓延するアテネで、ただ一人”絶対的な善”を追い求めた。みんなで守るべき絶対的な善はあるとして、それまでの口達者な人間にとってだけのいい社会に対抗した。キーワードは”善く生きる””極貧生活””問答法””無知の知””助産術”。最後は恨みを買って死刑に。
  • あまりにも働かないで議論ばかりしていたので、奥さんから水をぶっからられたこともあるようですが、その時にも「」雷の後には雨が降るものだと、名言っぽい言葉を残したそうです。またある時はそんな怖い奥さんなら別れたらいいのにと言われたこともあるようですが「いや、結婚はするべきだよ。相手が良妻なら幸せになれるし、悪妻なら哲学者になれる」と返したそうです。意外とユーモアのある人だったのかもしれませんね。
  • プラトンイデア(万物の本質や原形)は天の上のイデア界にあるとした。著書『国家』では魂の三分説を説くが、最も重要な要素となる「哲人王」の育成に失敗する。哲人王は「知恵・勇気・節制・正義」の四元徳を調和させる理想国歌の要。哲人王に必要なのは最高のイデアである”善のイデア”を直観(本質を見抜ける)ことであり、そのためには秩序と調和の考察手段である”数学”を極めないといけないとしていた。プラトンピタゴラスの影響を強く受けていた。「そもそもこの不完全な現実世界で、完全無欠の哲人王を作ろうと思ったのが間違いだった」
  •  アリストテレス:事物の本質は事物の中に入っているとし、プラトンイデア論を批判した。人間だけが持っている本質的特徴として理性をあげた。また万物が自己実現の欲求、つまり自分の本質的特徴を100%実現したがる欲求をフルに使って、宇宙の真理をじっくり探究するような生活こそが、我々にとって最高に幸福で、しかも人間の本分に見合った生活だとした。これを観想(テオリア)的生活と呼んだ。この実現のために求めたのが中庸を得た生活であり、中庸とは極端を避けるバランスの良さのことである。配分的正義と調整的正義。公平さを実現するための原理。公平さ→バランスの良さ→善という考え方。

 

栄華を極めたギリシア文明も、異民族の侵略により終焉を迎える。

マケドニア王国のフィリッポス二世、アレキサンダー大王(アレクサンドロス三世)の侵攻に会い、ギリシアとオリエント(ペルシアやエジプト)の融合したヘレニズム文化の時代が到来する。

 

 

 

 ◆キリスト教思想

前4年頃から1274年

 

異教徒たちからキリスト教を守るため「神の国」を書いた。

アウグスティヌス神の国はあくまで霊的な存在であるとしながらも、現時点の地上で神の国を体現している機関が教会であると論じた。これにより異教徒からの批判をかわしつつ、教会の権威付けもでき、この後教会は絶大な権力を得た。

一方で、「告白」では「人間の罪と神の関係性」や「記憶と時間の関係」などを記したが、同書の後半では赤裸々すぎる自叙伝も披露している。

「私を肉欲の支配から解放してください。ただしもうちょっと後で」

「16歳で一時の父となりました。相手は奴隷女でした。奴隷女と別れて11歳の女と婚約し、その後、別の年上女と暮らした後捨てました。」

 

アウグスティヌスの「神の国」という概念は、教会を単なるローマの国家機関から、もっと巨大で超国家的な「神の国の代理・執行機関」へとパワーアップさせ、どんどん肥大化していった。

キリスト教の腐敗を正そうとする人たちが入り乱れた世界へと突入していった。

 

アリストテレス哲学をキリスト教と調和させるも、彼の示した調和は、哲学の縄張りはまで理性の光が届く範囲まで。そこから先は考えるな。わからなくても研究するな。とにかく進行で受け入れろ!というものだった。

 

この後、時代は教会そのものの衰退と相まって科学の時代へと突入していく。